映画をまだ観ていない方は、映画の結末まであらすじが掲載されているのでご注意ください。鑑賞後に読んでいただけたら嬉しいです。いつもありがとうございます。
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映画『Beautiful Thing』を鑑賞しました。

簡単なあらすじ
舞台はイギリス。労働者階級の主人公家族は団地に住む生活。主人公ジェイミーは学校にも馴染めずに悶々と日々を過ごす。隣の部屋に住む同級生のステが気になっていた。
概要
1996年公開。早くも20年以上もの時を経ても、未だに歴代LGBT映画のマスターピースの一つとも形容される本作。
高校生の二人の恋を中心に描く淡いゲイ映画と思いきや、労働者階級という設定なためか、言葉遣いや行動などが洗練されておらず、どちらかというリアルな英国の階層も表現していたのではないかと思います。
ちなみに、本作の舞台である団地ですが、2013年に都市開発で壊されてしまったそう。残念です。
登場人物
ジェイミー
本作の主人公。フットボールなどスポーツが好きではない。そして言動や振舞いも雄っぽくなので、学校では『ゲイ野郎』とからかわれている。団地の隣に住む同級生ステファン(ステ)に恋をしているが、なかなか自分のセクシュアリティにオープンになれずにいる。

ステ
本作のもう一人の主人公。ジェイミーの隣の家に住む。ジェイミーとは仲が悪いわけではないが、学校の友人たちと一緒にジェイミーをからかっている。父はDV気質、売人の兄はサンドバッグのようにステを殴るため、体中があざだらけ。そんな家から早く出たいという思いが強い。スポーツが得意のため、将来はスポーツジムで働きたいと思っている。ジェイミーのことを気になってはいたが、周囲の反応を恐れて言い出せずにいる。

↑つぶらな瞳が印象的です。
サンドラ
ジェイミーの母。シングルマザーとしてジェイミーを育てている。言葉遣いがとてつもなく悪く、近隣住民や息子ジェイミーと言い争いになるものの、息子のことは愛している。ヒッピーの彼氏と交際中。将来は自分のパブを持つことが夢。

内容
高校生のジェイミーは、毎週木曜日のフットボールの練習が大嫌い。そのためいつも学校をさぼり、家に帰ってメロドラマを観るという生活をしています。
そんなジェイミーをみて、クラスメイトたちはジェイミーを『ゲイ野郎』と馬鹿にしています。
それでもジェイミーはあまり気にしない強い心があるようです。
ジェイミーは団地の一部屋で母親サンドラと、そのヒッピーの彼氏と一緒に暮らしていますが、生活は豊かではありません。

ジェイミーはとなりの部屋に住む同級生のステが気になっています。
ステは同級生。父と兄と住んでいますが、家族からのDVに苦しんでいます。
ステの他にも、ジェイミーの近隣住民には、学校を退学になってクスリでハイになっている黒人女性や常に不満を口にする白人女性など、不思議なひとばかりです。
ある晩、ステは父と兄に殴られ家出します。
外で泣いているステを見つけたサンドラは、家へ連れて帰ります。
サンドラ『ベッドが無いからジェイミーと一緒に寝て。』

ジェイミーは嬉しそうです。
ステ『本を読む時はメガネをかけるんだね。とっても似合っているよ。ところで何を読んでいるんだい?』
2人は上下逆で寝ます。
次の晩、
ステは再びジェイミーの家に泊まります。
ステは自分が父と兄からDVを受けていることを告白し、身体のあざをジェイミーに見せます。
ジェイミー『これを身体に塗ってあげる。そうすればよくなるさ。』
ジェイミーはステの身体にクスリを塗りたくります。
ジェイミー『今までキスをしたことあるかい』
ステ『こんな醜いあざだらけの身体の男を好きになってくれる奴なんていないよ』
ジェイミー『君は美しいよ』
ジェイミーはステに軽くキスをします。
ステ『俺がゲイだと思うのか?』
ジェイミー『そんなのどうでもいいんだ。ただ、、、』
2人は同じ方向の向きになって眠りに就きます。(裸)

翌朝、目が覚めるステ。
自分がゲイであると認められないステは、数日の間ジェイミーに冷たく接してしまいます。
一方で、ジェイミーは書店でゲイ雑誌を万引きし、読みふけるなど、自分の性癖、そしてステへの愛情を認め始めます。
ステは兄のクスリの売買を手伝っており、パーティで売りさばいています。
そんなステを心配したジェイミーはパーティに潜入。ステとパーティ会場を後にします。
しかし、ゴシップ好きな女に
『あんたたち、おかまでしょ。あなたのお父さんとお兄さんも知っていると思うわ』
それを聞いたステは激昂。ジェイミーに対しても辛くあたります。
ステ『この手を離せ、おかま野郎』
ステもジェイミーへの思いが募り始めます。
ジェイミー『この雑誌によると、近くにゲイバーがあるみたいなんだ。一緒に行かないかい?』
ジェイミーとステはゲイバーへ行き、新たな世界への扉を開きます。
そして、二人は熱くキスを交わします。

ジェイミーが家に帰ると母サンドラが待っています。
サンドラ『どこへ行っていたの?あなたたちの関係、もう知っているわ。』
サンドラのもとへ学校の先生から連絡があり、ジェイミーが学校でいじめられていることを知っていたのです。
サンドラは息子の思いを聞き、彼のセクシュアリティを認めます。
一方で、
ステも自分の思いを正直に表現するようになります。
父も兄も周囲も関係ない。
最期、
ジェイミーとステは公衆の面前で二人抱き合いダンスを踊ります。二人の世界を邪魔するものは誰もいません。

感想
世の中には数々のLGBT映画が存在しますが、
その多くは、いわゆる『coming of age』ドラマ。
青年期から大人になる過程を描くものです。
こういう思春期の青年が舞台の映画を観ると毎回思います。
『自分も青春時代をもっと謳歌すればよかった』
でも難しいのです。同性愛者に生まれた時点で、『自分の性癖に悩む』というカルマを背負って生まれてきているのですから。
同性愛者の場合、勝手な推測ですが、99%の人が思春期になって自分の性癖に悩むのだと思います。
『俺ってゲイなのかな』
わたしも大学3年生くらいまで自分の性癖をオープンに出来ずに、ずっと悩んでいました。
誰も味方や理解者が存在しないような感覚。
・家族をがっかりさせたらどうしよう。
・友達に嫌われたらどうしよう。
そうやって同性愛者は自分を隠し偽ることを学びます。
わざわざ、私はゲイです、って主張したいわけではない。ただ、自分の性癖をオープンにできないストレスというのはすさまじいもの
自分の性癖を認めるには、まず周囲の人間関係の中で認められるしかないと思うのです。
それが家族であったり、もしくはゲイバーであったり。
周囲の理解力って超重要。
それがあるかないかで、自分を受容するのに数年の差が開くと思う。
青春時代には偽装彼女もいて、本当に努力をして神経を張り巡らして、自分の性癖を隠していました。
それくらい同性愛者であることは危険なカミングアウトでした。
特に、わたしの住んでいた新潟ではそう。
都心部に生まれていたらまた話は違っていたのかもしれません。
今となっては、『ゲイに生まれて心の底から良かった』
と思えますが、青春時代は地獄そのもの。
そのときに、本作のような映画に出会っていたらなあ。
わたしの友人は、親にカミングアウトしたら病院に連れていかれそうになったそう。
この時代にもそんな人がいるんですよね。
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(photo credit: IMDb)